代表弁護士 吉岡 毅
<復活掲載コラム>
3月5日(※2016年)に宮崎県宮崎市で開催された日弁連主催の「刑事弁護経験交流会」に、埼玉弁護士会・刑事弁護センター運営委員会委員として参加してきました。
1月末に金沢で犯罪被害者支援全国経験交流会に参加して来たばかりですので(※詳細は、「 弁護士吉岡毅の法律夜話 2016年2月29日 寄り添う心と支援の距離感 」をご覧ください)、なにかと地方への出張が続いています。今年は、今後もしばらく続きそうです。
その分、日常業務が忙しくて目が回るような、でもいろいろな地方に旅するのがやっぱりなんとなく嬉しいような……。
今回の刑事弁護経験交流会のテーマは「取調べ可視化」の応用編です。
ここ最近になって、やっと警察や検察での取調べの様子が、ごく一部ですが録音・録画されるようになりました。
今まで密室で好き勝手にやられていた無茶で無謀な取調べが、取調べ可視化の対象となった一定の事件に限ってではありますが、確実に減ってきています。
暴言や甘言、暴力、騙し、強請、おだて、丸め込みなどなど、およそ「任意」とはほど遠かった違法な取調べが、少なくとも記録カメラの前では、少しずつまともになってきているのです。
……さて、この話を聞いて、「そりゃあ、そうだろうなぁ。」と思いますか?
それとも、「ん? あれ? なんで?」と思いますか?
警察官(刑事)でも検察官でも、自分の取調べがカメラで記録されていると分かっているのだから、変な取調べは(たとえカメラの前だけであっても)一切やらなくなるのが当然ですよね?
でも、なぜか、違法な取調べは「減って」きてはいるものの、「少しずつ」まともになっているだけで、「完全に」は無くなっていません。
つまり、カメラの前でも、任意とは到底言えないような無茶な取調べが、今もまだなされているということです。
なぜなら、当の取調官本人が、自分の取調べ方法について、“違法だ”という認識をそもそも持っていないからです。
なので、記録カメラがあると分かっていても、つい今までのクセが出てしまう……だけではなく、「(今までのような無茶はしていないから)このくらいなら許されるだろう」と考えて、違法な暴言や騙しを今でも“許されている”と思ってやってしまうのです。
録音・録画された取調べの映像が、DVDやBD(ブルーレイディスク)の形で証拠として弁護人のチェックを受け、時には裁判員裁判の法廷で再生されて取り調べられるようになり、その結果、取調べの任意性が否定される事件が現実に出てきています。
第三者(裁判官や裁判員)から見れば、あの手この手で無理矢理に自白調書に署名させているようにしか思えない取調べなのに、取り調べている本人には、まったくそんなつもりがない。
怖いことです。
まして、今までの、否、今この瞬間にも、カメラのない場所で行われている「ごく普通の取調べ」で、一体どんな違法なことが行われ続けているか、想像に難くありません。
ところが、裁判官は、そうした「普通の取調べ」こそがおかしいということを、弁護人がいくら言っても信じてくれません(信じていないフリをします)。
違法な取調べであったという証拠がない、と言います。
密室なので、ビデオカメラで可視化されない限り、証拠は残らないのです。
もし証拠がないというなら、むしろ「バレたら困ることを何かしているに違いない」と考えるのが普通の感覚だと思うのですが……。
取り調べる側は、やろうと思えばいくらでも録音も録画もできるのに、あえて密室で証拠を残さず取調べをしていること自体が問題なのです。やましいことがあるから、取調べ全部の録音録画(可視化)を拒否しているのです。
刑事裁判官に“普通の感覚”を求めることは、日本においては必ずしも“普通ではない”のです。
こうした違法な捜査、無茶苦茶な裁判が当たり前の日本の現実であることは、実際にやられたことのある人と、経験ある刑事弁護人、そして、周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」を真剣に見た人だけが知っています。
(初出:2016/3)
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